「河童」から学べること
注意
この記事は、芥川龍之介著「河童」の内容に触れながら書きますので、これから読む予定だとか、ネタバレ的なものがあっては困る方はそっとページを閉じてください。
「河童」とはどんな作品か
「河童」は、昭和2年10月に「改造」という機関で発表された作品です。
表面的な内容は或精神病院の患者が話す、河童の国のことについてで、その患者を主人公として、河童の国での出来事を追っていくもの。
しかし、風刺的な作品でもあり、様々な批判が含まれています。例えば、出産や家族制度、検閲、宗教、芸術...などについて書いています。
「河童」に散りばめられた芥川の考え
今回はあまり暗いところは深掘りせずに、僕の参考になった!と思うところを紹介し、どのように参考になったかを書こうと思います。
どんな小説でも新書でも、本には作者の考えや思い、教訓が含まれています。で、今回はそれらを「河童」から拾っていきます。
「芸術は何ものの支配をも受けない、芸術のための芸術である...」
この言葉に影響を受けたのは、完全に僕の趣味が背景にあります。僕は絵を描いている、つまり芸術を生み出すので、この言葉に影響を受けました。
これは河童のトックの言葉です。この言葉には続きがあって、「芸術は何ものの支配をも受けない、芸術のための芸術である、従って芸術家たるものは何よりも先に善悪を絶した超人でなければならぬ」となっています。
支配を受けると自分の考えが変わってしまうと言いますか、もはや自分の作品が変わってしまいますから、支配というよりも、他人からは「影響」を受けたいなと思いました。
善悪を絶する、の解釈がなかなか難しくてうまく飲み込めていないのですが、多分、何が善くて何が悪いかを考えずに作業に没頭する、ということなんじゃないかな、と思っています。
「阿呆は彼以外のものを阿呆であると信じている。」
この言葉は河童の哲学者マッグが書いた『阿呆の言葉』のなかの言葉です。『或阿呆の一生』では、その阿呆というのは芥川自身を表していることが多いので、この『阿呆の言葉』も芥川の言葉なんじゃないかな、と考えています。
この言葉を目にしたとこにはっと目が覚めました。他人のことを愚かだと思うことが今まであったのですが、実際は他人を阿呆だと思っている僕が1番の愚か者だということに気付かされました。
「我々の最も誇りたいものは我々の持っていないものだけである。」
これも『阿呆の言葉』から。
実際、僕も誇りたいものは僕の持っていないもの。ここで出すのは恥ずかしいので書きませんが、今後発言には気をつけようと思いました。
「矜誇、愛欲、疑惑-あらゆる罪は三千年来、この三者から発している...」
『阿呆の言葉』より。全文は「矜誇、愛欲、疑惑-あらゆる罪は三千年来、この三者から発している。恐らくはあらゆる徳も。」矜誇とは、自慢する心です。
この言葉が1番心に響きました。他人とギクシャクするのも大体はこれらが原因だったな、と振り返ると、これまでの自分が恥ずかしくなりました。
上記3点を制することができれば人間関係は円滑になるのではないか、と考えることができますね。
「我々の運命を定める者は信仰と境遇と偶然だけです。」
これは河童の長老の話です。ここからは宗教に対しての芥川のアイロニーですね。
宗教って一体何なのか、善悪や運命、人生は何によって決定するのかを考える良い機会になりました。
最後に
ちょうど5個と、まあまあ区切りの良い数を選出することができた気がします。どれもかなり深く考えさせられた言葉です。皆さんはそれらの言葉から何を感じたでしょうか。
ついでに、絵も描いてますのでぜひ覗いてみてください。
日記
天然落とし穴
今日は雪が積もりました。
いつもの道を、歩いていると、あれ、いつの間にか体が空中に。
大ジャンプそして、大転倒。ああ、めちゃくちゃ痛いよ。
起き上がって足元を見ると、なぜか窪みが。そしてツルツル。こいつが犯人か。
右半分が真っ白。通行人からの目線が痛い。体も痛い。
体の雪を払って、歩き始めました。雪を払ったせいで両手はベチャベチャで、手は寒くて真っ赤に。手を揉みながら帰りました。
これからは用心して歩きます。皆さんも雪道にはお気をつけて。