H.KATOHの研究室

「いいものはいい」とは誰の意見?

全知全能の神なんかいない(雑記)

この記事について

 この記事はここ数日の日記や意見などを集めたものです。形式を小説っぽくしたりするなど、書きたいように書いてました。楽しみながら読んでいただけたらと思います。パロディーもあるので、気が付いたら是非教えてください。

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チキンとコーヒー(2021/01/28)

 この記事を書いている今日、夜はとても冷え込んだ。月の光が雲を通過して、鈍い光を放つ。

 今日は学校を出たのが7時半で、近所のリカーショップは閉まっていたり、床屋が閉まっていたなどしていたために道が暗いし、すれ違う人も少なかった。その寂しさが、寒さを倍増させているように感じられた。とにかく、あたたかいものを口にしたかった。

 通り道のコンビニに寄って、チキンを買った。僕はあたたかいチキンを大きな口で頬張った。あたたかさが口と胃にじわりじわりと広がっていく。僕はもう満足だった。マスクをして、包み紙を折り畳んでポケットに突っ込み、歩きはじめた。

 しかし、今日は寒いのに、生憎、僕は両手に大きな荷物を抱えていた。そのため、パソコンでいうホームポジション的な役割を果たす、ダウンジャケットのポケットに手を突っ込むというのは、それはできない相談であった。意地悪な風は僕の指のあいだをくすぐりながら、確実に冷やしていった。僕の指は暖を取りたがった。

 僕はいつもの通り道から少しはずれて、また違うコンビニに入り、Sサイズのコーヒーを買った。僕は両脇に荷物をしっかりと挟み、両手でコーヒーを持った。手がじんわりと痺れた。蓋を起こし、ちまちま啜った。飲み終わり、また体を丸めながら、歩く。チキンの包み紙を紙のコップにねじ込みながら。

 今日は思わぬ出費をしてしまった。毎日寒いとこのような生活が続きそうである。それは僕にとって恐ろしいものである。僕はこのような生活を続けられる財を持っていない。こう云う暮らしで小遣いが無くなるのは何とも言われない苦痛である。誰か僕の迷っているうちにそっと叱ってくれるものはないか?

 

全知全能の神なんかいない(2021/01/29)

 ネットの情報は、どのサイトを開いても、うんざりする程同じものを勧めている。どのランキングでも、首位に君臨する商品がある。

 僕も2年前くらいまでは、シャープペンシルをはじめとした文房具類、自転車のパーツ、画材、本など、ありとあらゆるものをネットの情報に依存して買ってきた。しかし、今ではそれらの道具は使わなくなったり、処分したり、売ってしまったものがほとんどである。

 それらのものを使わなくなった理由は実に簡単で、自分の生活形式に合っていなかったと云うもの。どんなに世間一般から見て良くても、どんなに高くても、最終的には自分からみて良くなければ、自分に合っていなければ、無意味なものになってしまう。

 大体、インターネットの情報というものは、(このブログを含め)第三者の意見である。決して鵜呑みしてはいけない。自分に合った情報とそうではない情報の取捨選択が必要だ。

 「ネットには気をつけろ」とよく言われるうえ、よく言うが、もう1度この言葉の深い意味を再確認する必要があるのではないだろうか。

 

murmur(2021/01/31)

 murmurとは、「(よく聞き取れない低い声で)つぶやく」という意味である。この単語を知ったのは、一條次郎著「動物たちのまーまー」という本である。

 僕が本を読むようになったのは、高校一年のときから。それまでは、特に中学の3年間は本を読んでこなかった。

 中学校で本を読まなかったのは、スマートフォンを手にしたからというのもあるが、当時の同級生Yも影響している。彼は四六時中、と言っても過言ではないほど読み、特に東野圭吾の作品を愛していた。

 こんな僕がいうのもアレだけど、彼は相当ヘンなやつだった。修学旅行の就寝時のときでは、「ろろろろろ」と言いながら、奇妙な踊りをしていた。

 そんな彼と僕は一度、そして卒業間近の時に、隣の席になった。僕は落胆した。僕は彼に対して良い印象を持っていなかったからだ。

 卒業間近ということは受験間近でもあり、授業はほとんど自習だ。そんなときでも彼は熱心に本の文字を追っていた。

 あるとき、僕はある発見をした。彼は本を読むときに、よく聞き取れない低い声でつぶやきながら本を読んでいた。僕はその発見をした途端、どの物事にも集中できなくなり、彼をさらに憎んでいった。

 受験が終わり、学校はいつにも増して退屈な場所に変わった。僕は友達が少ないし、孤立しているタイプだったから、僕は本当に空虚の状態だった。ただぼうっとしているだけだった。

 それにも疲れ、何となくYに話しかけてみた。とりあえず、おすすめの本を聞いてみた。僕は返答は期待していなかった。彼はぶつぶつつぶやきながら本を読んでいる最中だったから。

 しかし、彼は本にしおりを挟み、本選びの相談にのってくれた。彼は意外にも、親切な男なのだ。でもやはり、勧めたのは東野圭吾の本だった。

 それから、僕らは中学生らしい、無意味な、生産性のない会話をした。学校にいるときは毎日。

 そんな日々がだらだらと続き、ついにアルバムを配られた。もう卒業は目の前だ。お決まりの寄せ書きタイムだが、僕は勿論、Yに書いてもらった。

 彼は「話しかけてくれてありがとう。けっこう楽しかったぞ!」と書いた。

 そのとき、僕の胸は人生で一番熱くなったし、そして一気に混乱した。僕はいかに陰湿で汚い男だったのだろう。

 卒業式が終わった。退屈な学校とはお別れだ。しかし、Yとのお別れでもある。僕らは一言、二言会話して別れた。

 

 僕はあるとき、ふっと本屋に寄る気になった。勿論、そこで手にしたのは東野圭吾の本だった。僕がはじめて読んだ文庫本は、この世で最も深い、東野圭吾の本だ。

 

今後の方針

 記事を土曜までに書き上げ、日曜午前9時を目安に投稿します。

 

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